古くから自家用の木綿織物が作られ、文政三年(1820)からは福野手縞(菅大臣縞)を織り出していた。
絣織物が始まったのは明治の中頃からである。それは双子縞の経に茶の矢絣などを入れた締切絣であった。 明治末期には紺緯絣が作られ、手括り、板締めの技法で、花・小判・繋ぎ・ポツ絣(単純な十字絣)などを織り出した。
生産量は次第に増え、大正末期には縞物をしのぐほどになったのである。 ほぼ同じ頃、栃木県足利市から銘仙の技術者を招き、絵絣や工夫絣を織るようになった。 しかし、太平洋戦争後はポツ絣が主となり、多色使いの絣なども織り出したが、現在は絶えた。
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